過去および現在の主な研究テーマについて
ハプンスタンス学習理論
Krumboltzのハプンスタンス学習理論は長期的な計画よりも好奇心に基づく行動を重視し、探索的行動からキャリアをつくりあげていくことを意図するキャリア形成の方法論のひとつです。日本においては5つのスキル(好奇心・持続性・柔軟性・楽観性・冒険心)が有名ですが、Krumboltzの研究を紐解くと5つのスキルが登場するのはごく一部。それ以外の大部分はハプンスタンス学習をいかにしてキャリアカウンセリングや教育で活用するか、具体的なステップや問いかけ例などが多数例示されています。Krumboltzは元々は行動主義カウンセリングの研究者であり実践者です。単に5つのスキルを提示するのではなく、あくまで行動変容にこだわったことにも理由があるわけです。
ハプンスタンス学習理論はともすると単なる計画不要論のように理解されたり、ごく一部の行動力のある人だけのメソッドのように思われがちです。しかしハプンスタンス学習の根幹は、好奇心という、その人にとって最も行動につながりやすい要素から行動をはじめることによって何らかの学習経験を促し、中長期的にキャリアの選択肢や人生の満足度を高めようとするところにあります。計画はいらないとし、目先の好奇心から行動しようとするのも、実は中長期的なキャリアを見据えてのことであり、逆説的ですが計画的な理論ともいえます。また行動力がある人だけがそうした行動を起こせるということではなく、人それぞれが持っている、興味のあることなら自然と行動できるという性質に着目したものでもあります。
Krumboltzの社会的学習理論の研究には、近所に公立の図書館がオープンして、そこで読んだ伝記から医療職の道を選んだ女性の事例が連合的学習経験の例として挙げられていますが、ここにハプンスタンス学習理論の萌芽を見ることができます。ハプンスタンスの理論を理解するには、Krumboltzの行動主義、社会的学習理論、そしてプランド・ハプンスタンスがハプンスタンス学習理論と変化していった、その研究の全体像を把握する必要があります。そうすることによって、キャリア支援者としても納得してこの理論を活用できるのではないかと考えています。
現在のキャリア開発では、ともすると目標や計画を持つことが大前提のように考えられているように感じています。目標や計画によって意欲が高まり前に進めるという面もありますが、現時点で目標や計画をもつことができない人にとって、目標・計画の重視は自身を追い詰める正論になってしまわないでしょうか。キャリアづくりには様々な方法があり、目標や計画ではない、目の前の興味関心からはじめてキャリアを歩んでいく方法がある、そういったサジェストができればと思っています。
アジャイル・キャリア・デベロップメント
ソフトウェア開発の分野においては、かつて「ウォーターフォール型開発」という、ソフトウェアの設計から実装(プログラミング)、テストまでを完全に計画して後戻りなく遂行していく開発方法が主流でした。しかしそれは最初からどのようなソフトウェアが必要なのか、明確な完成イメージが持てる場合の話です。例えば企業の人事管理システムや経費精算システムなどは求められるものが明確です。しかし近年ではWebサイトやスマホアプリのように、作ってみなけりゃユーザの反応がわからないシステムが増えました。最初から開発側が完成形をイメージしていても、完成してみればそれはユーザが求めるものとは全く違うものかもしれないのです。いえ、そもそも人事管理システムのような完成形が明確なものでも、作るべき機能は明確だとしても、非常に多くの人員を擁するプロジェクトですから、ちょっとした作業の遅れが重なることでスケジュール全体が遅延し、当初の計画通りにいかないことも多々ありました。
2000年頃から「エクストリーム・プログラミング」、「SCRUM(スクラム)」といった比較的短期の開発を繰り返すことで大きなシステムを作り上げる、アジャイル(俊敏な)開発と呼ばれる開発方法群が広がっていきました。従来のように最初から年単位の計画を立てるのではなく、数週間からせいぜい1か月の間に開発できる範囲のシステムを開発し、それを反復していくものです。
私が大学院の修士時代がちょうど2000~2002年で、修士論文のテーマとして産学連携のソフトウェア開発を扱いました。自分自身が担当指導教授や博士課程の先輩、修士の同期と一緒に企業に入り込んで、会議室をお借りして開発に取り組みました。その方法がまさにアジャイルで、週2回ほどのプロジェクトで、毎回、できたモジュールを企業の担当の方に見せて、その反応を受けて修正したり次のモジュールに取りかかったりしていました。むしろアジャイルな方法から開発を経験したので、ウォーター・フォールのような重厚な開発方法を本で読むと、なぜこんな面倒な方法をする必要があるのか?と思うほどでした。まあ、院生時代のプロジェクトは少人数のチームだったのでアジャイルがうまく機能した面はあったと思います。大規模なソフトウェアで人員規模も多ければ、それを管理するためにウォーター・フォールにせざるをえない部分もあるのかもしれません・・・ただ、このあたりは日本のIT業界の構造的な観点からの議論も必要ですので、ここでは触れません。余談ですが当時はアジャイルという言葉がありませんでしたので、前述の「エクストリーム・プログラミング」やエリック・レイモンドの『伽藍とバザール』などオープンソース開発の手法を理論的枠組みとして修士論文を執筆しました。
ようやくここでキャリアですが、つまり、計画を立ててまっすぐ進むキャリア開発の方法だけではなく、短期的にやれることから進めていくアジャイルなキャリア開発の方法があってもいいのではないか、そんな発想からモデル化を行っている研究です。
主体性
主体性という言葉は日常的にもよく使われており、これが何を指すのか、なかなか合意が難しい言葉でもあります。ざっくりいえば、自分で考える、自分で行動する、といったところでしょうか。主体性は人の能力のひとつなのでしょうけれど、常に発揮されるわけではありません。学生生活でいえば、授業、部活やサークル、アルバイト、それ以外にも地域での活動など様々な場がありますが、全てにおいて同じ程度の主体性を発揮しているかといえば、そうではありません。あるひとつで非常に熱心だが、それ以外のどこかで全く自分から動かないというケースもあります。私自身の学生生活を振り返ってもやはりそうだったかなと思います。授業科目によっても受講姿勢は違いましたし、部活が忙しくてアルバイトは言われたことをやるだけで先輩から注意を受ける、といったこともありました。
そして教員として関わる学生も同じように、授業、部活・サークル、アルバイトなどで主体的な行動の差があります。もちろん、それぞれの思う形でよい学生生活を送ることがよいのだろうと思いますが・・・さて、この差はどこからくるのでしょうね。教員をしている中での素朴な疑問で、これが博士論文のテーマとなりました。学業、部活・サークル、アルバイトなどの状況の違い、またそれぞれの環境要因などを分析した結果、それぞれの特性と周囲の環境の影響を受けて、主体性を発揮できる場とそうでない場に分かれるということがわかりました。
その後しばらくはこのテーマから離れていたのですが、最近はモチベーション理論、特に有機的統合理論の観点から主体性や類似概念(自律性、自主性など)を整理し、主体性という言葉が抱える矛盾、つまり「主体性を持ちなさい」と言って主体性を持たせようとした瞬間に主体性ではなくなる、などについても分析しています。